セミの声を聞くと思い出す「夏合宿」。 青春の旅、友人が仲間に変わったとき
私は、現在30歳。
ふと、昔に戻りたくなるときがある。
セミが鳴き始める頃、とある旅を思い出す。
夏合宿だ。
高校の時代はマネージャーとして。大学のサークルでは選手として、バスケ部の合宿に参加してきた。半ば強制的に参加させられていたが、思い出すと心の奥がじんわりと温かくなる。
それはこの夏合宿で、仲間になれた友人たちがいるからだ。
□教室では見られない友人たちの姿を知る。汗と涙の夏合宿
高校で、某バスケ漫画に憧れ、同級生に惚れられることを夢見たが、もちろん叶うことはなかった。
合宿先は、群馬県。関東圏の学校では合宿所の聖地とされている。宿の隣には体育館があり、東京では見かけないサイズの蛾や、見たことのない虫の死骸が落ちている。大体、和式便所だ。
ここで1週間、宿と体育館を往復する日々を過ごす。
朝、寝ぼすけの部員たちを怒鳴りながら起こし、昼に30人分のごはんをよそい、汗にまみれたビブスを洗い、夜はケガ人に氷袋や湿布を渡したり、たまにテーピングを施したりする。
24時間、部員たちのために身体を動かしていた。
練習が厳しくて吐いてしまった後輩や、コーチに怒られて落ち込んでいる同期には何もしてあげられず、夜の自主練でシュート練習をする後ろ姿を小さく応援していた。
迎えた最終日の夜。
恒例行事の花火が終わり、ふと真っ暗な森の中で見上げた空からは、こぼれんばかりの星が輝いていた。街から離れていた場所だからか、皆と一緒にいたからかは分からない。
しかし、あの日、見た空と同じような光景をいまだ見たことがない。
いつだって合宿から帰るときは、寂しい気持ちになった。反抗期真っ盛りの部員も、素直にその気持ちをぽつりと打ち明けてくれたこともある。
ただ一緒に時間と空間を共有しただけだった。
でもあのとき、私たちは同じ部活に入った同志ではなく、仲間になったのだろう。
□会社では見せられない姿を、大人の夏合宿で見せ合う。
10年の時が経つ。家族を持つ部員も増え、あの頃のメンバーと旅をするのは難しくなってきた。しかし、4年前から同じ大学の合宿に参加したメンバーと、夏旅ならぬ「夏合宿」を慣行している。
選手として参加したサークル合宿では、練習が辛くて何度も「東京に早く帰りたい」と思った。最終日の夜には、高校時代とは異なり、お酒という大人の遊び道具が加わる。
女子サークルのため、普段あまり接することのない後輩や先輩と酒を酌み交わすと、お互い、女とは思えない荒々しい姿を晒すことになる。
毎年、粗相が必ず起きて、翌日には寂しさよりも、吐き気が身体を襲ったものだ。
話が戻るが、現在「夏合宿」に参加しているのは4学年、女8人。旅先では、バスケはしない。なぜか、練習よりも辛かった酒宴の思い出だけを切り取り、それを飽きもせずに反芻している。
日本酒一升瓶を抱えて新幹線に乗り込む奴が必ずいるほどだ。
今年の「夏合宿」が行われた岩手でも、観光スポット・猊鼻渓(げいびけい)の船下りでは女8人ビールを呷った。
夏の身体にしみ込む水分は、汗や涙など青くさいものから、ずいぶんとオジサンくさいものへと様変わりしたが、「夏合宿」を彩るものには違いない。
□それぞれが持ち寄る旅の記憶。それをつなぎ合わせて宝物にする
私たちは照れ臭くも「大人の合宿だ」とふざけて集まるものの、社会に出たからこそ自分の素の姿に戻る場所を取り置きたいのだ。それは街の居酒屋でもできるのではと疑問に思うだろう。
けれど、「夏合宿」という旅先で作られたものは、普段の生活から離れた遠い場所で思い出したい。終電を気にせず、そのまま気持ちよく眠れるように、限界までお酒を酌み交わしていたい。そしてまた、同じ時間を色濃く染め上げる共犯者になりたいのだ。
しかし「夏合宿」を語ろうにも、10年以上も前の話なので、当時の出来事なんて一部分しか覚えていない。あのときに見た星空も衝撃的な同期の姿も、覚えている人は少ないだろう。
仲間がいてくれると、それぞれが記憶のピースを持ち寄って思い出をつなぎ合わせられる。今後もそうやって、思い出の欠片を皆で積み上げていくのだろう。
「夏合宿」をする私たちでも、東京で会う機会が少ない。半年に1回飲み会があればいいほうだ。今も昔も、旅から帰るとそれぞれの生活に戻っていく。
ただ、一緒にあのときの夏旅で手に入れた想いや、見た光景、聞こえた笑い声は仲間だけが独り占めできる宝物だ。それを大切にどこかにしまっている。
そしてそれぞれの場所で、セミの声を聞いたときにふと思うはずだ。
「ああ、あの夏がやってきた」と。
これからも仲間と「夏合宿」を出かけるだろう。
そうして私たちは夏を迎えるのだ。