おっさんアラサー女の欲まみれの戯言集

見た目はキラキラ女子、中身はおっさんのアラサー女のゆきびっちがアート以外のことを語るサブブログになります。

IKEAのベッドを解体したら20年前の親心に触れた話

先ほどIKEAのベッドを解体した。
小学4年生から使い続けていた実家のシングルベッドは、買ってからもう20年は経っていた。

 

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白い木製のフレームに、縁だけが青く塗られている。その差し色が剥げることはこれまでに一度もなかった。
積年のホコリで、ボディの白は黒ずみ、持ち主のずぼらな性格が一目瞭然だ。力を入れても汚れは取れず、廃棄するだけのために時間を使うのは無駄だと掃除を諦めた。

 

一度も変えることがなかったベッドマットのスプリングは歪み、数年は寝つきに悩まされていた。マットをひっくり返すと黄ばみがあちらこちらに浮き出ており、これまで自分の体に影響が出ていなかったことを不思議に思う。

 

マイナスとプラスのドライバー、そして六角レンチ。
引き出しの奥から取り出して、パーツをつなげていたネジを一つずつ外していく。

 

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固い。

「誰だよ、こんなに固くネジを締めたの」
明日やってくる筋肉痛を憂鬱に思いながら、ふと、このベッドと出会ったときを思い出した。

 

 

1995年7月、家族はオーストラリアのメルボルンに移り住むこととなった。私が生まれてから2度目の海外赴任。
父はひとり半年前に現地入りしていたため、私たちが空港に着いたときには満面の笑みを浮かべ、迎えてくれた。

 

車に乗り、新しい家に向かう。とはいえ、子ども心にこの引っ越しは心躍るものとは言えなかった。
親しかった友人と別れ、慣れ親しんだ土地から離れ、これから聞きなれない言語に立ち向かわなければいけない。前のときは幼すぎたために、どのようにやり過ごしたか、記憶が残っていなかった。

 

「東京に帰りたい」
口にはしなかったものの、その言葉が浮かんでは滞留していた。しかし横で父が喜んでいる。母も上機嫌にいつもより饒舌になっていた。
しかし平屋の一軒家を紹介され、部屋へと案内されたとき、私の心は一転した。

 

「私の部屋がある」
さすが広大な土地をもてあますオーストラリア。これまで兄との共同部屋だったが、私だけの部屋が用意されていたのだ。

 

壁には「くまのプーさん」の複製原画が入った小さな額が二つ飾られ、部屋の角にはこげ茶の勉強机が据えられている。そして正面には白いフレームのベッド、上にテディ・ベアとうさぎのぬいぐるみが二体座っていた。

 

父なりの気遣いだったのだろう。不安が先行く中、少しでも心の支えになるようにと、二人も新しい友人を娘のもとに連れてきてくれたのだ。

 

 


その日から白いベッドとの共同生活はスタートした。

ソファの代わりにベッドの上で長い時間を過ごしてきた。漫画を読むとき、音楽を聴くとき、人間の友人と笑いながら電話で話したとき、好きな人に緊張しながらメールを打つとき、失恋したとき、受験でヒステリックに暴れたとき、すべてベッドの上だった。
部屋の中でも、特別心地のいい場所。

 

私の青春時代を知り尽くしている、そのベッドを解体した。
そういえばと、帰国時も国内で引っ越しをしたときも、このベッドをばらしたことは一度もなかったことに気づく。

 

つまりこのネジは、22年前、父がひとり海外で締めたものだった。

 

改めて思う。
「固い」
20年ももつはずだ。

 

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3年前に一人暮らしを始めたとき。同じIKEAで家具を買ったが、ひとりでは組み立てられずに、当時の彼氏に応援要請をしたものだ。シンプルな図面は易しいようでわかりにくい。二人で相談しながら、なんとか形になったときは日が暮れていた。

 

当時、父が組み立てた家具は、私のベッドだけではない。今はもうない勉強机や、兄の分、家族共有のものもあった。

 

父は頑固で怒りっぽく、気分屋だ。父の気性は私に受け継がれ、大人になった今でも二人はたまに衝突する。一方で酒を語り小説を貸し合うなど、共通の趣味を通じた交流が増えたように思う。

 

これまで、なぜか子どもの頃の父を思い出せなかった。
家にいるときは趣味に没頭し、出かけたときはビデオカメラを構え、ひとり先回りして遠くから歩いてくる家族の姿や風景を捉えていた。VHSに残る映像は、つたない幼い記憶を支えてくれたが、撮影者の姿はそこにない。

 

しかしベッドのネジを緩めるとタイムカプセルみたいに、当時の父の想いが流れ出てくる気がした。
子どもの笑顔を見るために、万が一でもケガをさせないように、部品をひとつひとつ丁寧に組み立てた父。やはり設計図がわかりにくかったのか、当時油性ペンでつけたメモも残っている。

 

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今はもう見る影もなく、木と金属のパーツに細分化され、有料粗大ごみ処理券のシールと共に、週明けの収集を待っている。

 

解体後、何度か父に声をかけようと試みているが、なぜかうまくできない。
「廃棄してごめん」でもなく、
「20年前はありがとう」でもない。
言葉が足りなく不自由に感じるし、その前に涙があふれてしまいそうだ。

 

だからせめて、短いエッセイを贈ろうと思う。

 

父の日に、
いつもありがとう。

プレ花嫁必見。自分たちらしい引き出物を贈る、オリジナルカタログギフト「SELECTS」

Instagram「#プレ花嫁」は結婚式を楽しみにしている新婦さんのアイデアの宝庫

愛する人との結婚式。

一生に一度のイベントだからこそ、ドレスはもちろん、招待状やウェルカムボードなどで、夫婦の個性を演出したいですよね。

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Instagramやブログで見られるハッシュタグ「#プレ花嫁」「#プレ花」は、結婚式の準備をする新婦さんたちのアイデアが詰まっています。

そこには、見ているだけで幸せになれる写真がいっぱいです。「そろそろ式の準備をしなきゃ」と考えている方は、ぜひ参考にしてみましょう。



新郎新婦の衣装や、ヘアスタイリング、結婚指輪など自分たちを彩るアイデアはもちろん、案内状やテーブルフラワー、プチギフトなどなど、ゲストをもてなすための工夫も投稿されています

 

ゲストに喜ばれる「引き出物」って?

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しかし、気になることがひとつ。引き出物に関する投稿が少ない?
式場とギフトサービスが提携していたり、個性豊かな友人たちの顔を思い浮かべるとぴったりのものが見つからなかったりするのかもしれません。

自分たちのこだわりで品物を選びたいけど、こだわりが強すぎて、相手に「いらない」と思われてしまっては悲しい。といっても、いろいろ商品を選べるカタログギフトは味気ない…。
普段お世話になっている方々には「ありがとう」と「これからも宜しくお願いします」のメッセージをしっかり伝えたいところ。

しかし、もうそんな悩みは不要です。「SELECTS」なら、二人のこだわりを出しつつ、みんなに満足してもらえそうな引き出物を探せます。

 

完全オリジナルのカタログギフト「SELECTS」

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カタログギフト作成サービス SELECTS

これは、簡単に言えば「引き出物のカタログを、パッケージから掲載商品すべてをオリジナルで作れる」サービスです。

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一瞬、桐箱?と驚くようなミニの木の箱に、20枚ほど商品が掲載されたカードを入れられます。通常のカタログギフトよりも軽量なのも嬉しいポイント。

ここで私が「いい!!」と感じた、サービスのこだわりを挙げてみます。

 

こだわり1:パッケージをフルオーダーできる!

基本は木の箱+デザインのし紙ですが、パッケージの形状からデザインまでフルオーダーで制作依頼できます。もちろん思い出の写真やイラストなどデータをお渡しするのもOK。時間がないときは、デザイナー製作のテンプレートから選ぶこともできます。

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展示会場で試しに作ってみた、私バージョンのデザイン。私はお酒がすきなので、乾杯のイラストを入れてみました。

 

こだわり2:ゲストに合わせて選ぶことができる商品カタログ!

ネット上で販売している商品から、自由に選ぶことができます。例えば、新郎新婦の共通の趣味が食べ歩きだったら、オールお取り寄せ食品にしても◎。ゲストはカードに掲載してあるQRコードを読み取れば、商品の詳細も見られます。

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なぜかこんなキワモノもまでありました。地図マニアや国内旅行好きの方などにいいかも。新郎新婦のセンスの見せどころです。

そしてカードの内容をグループごとに分けることができます。例えば新郎側には趣味系のもの、新婦側にはコスメ系のものなど。ゲストの趣味に合ったものを選んで、お渡しできるのは嬉しい!

 

こだわり3:メッセージカードや、商品カードにも一言メッセージを入れられる!

カタログの束の一番上に、日ごろの感謝の気持ちを込めたメッセージやカタログのこだわりなどを書いたメッセージカードを入れられます

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そして商品カード1枚1枚にも、一言を入れられるスペースがあります。商品のおすすめポイントや、選んだきっかけとなった夫婦の思い出のエピソードを書きこんでもいいでしょう。

 

こだわり4:ゲストだけでなく、新郎新婦にも細かい気配り。キャッシュバックも!

あれこれ商品を選んでいると、どうしても出てくる商品の差額。しかしこちらは、参列者の方が実際に選ばれた商品の金額のみを負担するシステムのため、諸々入用の新婚生活には嬉しいボーナスをもらうことができます。

気になられた方はこちらのHPを覗いてみてください。

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カタログギフト作成サービス SELECTS

 

スタッフの方々が丁寧に対応してくださいます。
「このサービスを受けたかったな」と悔しがっている卒花さんはぜひ、プレ花嫁さんに教えてあげてくださいね。

一緒に展示会に行った友人たちと、妄想しながら「これいいね」「私だったらこれを選ぶ」「こういうのも欲しい」とはしゃいでしまいました。
今まったく結婚の予定がない私は、このサービスを利用できるプレ花嫁さんたちがただただ、羨ましい。いつか坂口健太郎みたいなカワイイメンズと一緒にこの門戸を叩きたいと思います。

セミの声を聞くと思い出す「夏合宿」。 青春の旅、友人が仲間に変わったとき

私は、現在30歳。
ふと、昔に戻りたくなるときがある。

セミが鳴き始める頃、とある旅を思い出す。
夏合宿だ。

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高校の時代はマネージャーとして。大学のサークルでは選手として、バスケ部の合宿に参加してきた。半ば強制的に参加させられていたが、思い出すと心の奥がじんわりと温かくなる。
それはこの夏合宿で、仲間になれた友人たちがいるからだ。

 

□教室では見られない友人たちの姿を知る。汗と涙の夏合宿

高校で、某バスケ漫画に憧れ、同級生に惚れられることを夢見たが、もちろん叶うことはなかった。

合宿先は、群馬県。関東圏の学校では合宿所の聖地とされている。宿の隣には体育館があり、東京では見かけないサイズの蛾や、見たことのない虫の死骸が落ちている。大体、和式便所だ。

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ここで1週間、宿と体育館を往復する日々を過ごす。

朝、寝ぼすけの部員たちを怒鳴りながら起こし、昼に30人分のごはんをよそい、汗にまみれたビブスを洗い、夜はケガ人に氷袋や湿布を渡したり、たまにテーピングを施したりする。
24時間、部員たちのために身体を動かしていた。

練習が厳しくて吐いてしまった後輩や、コーチに怒られて落ち込んでいる同期には何もしてあげられず、夜の自主練でシュート練習をする後ろ姿を小さく応援していた。


迎えた最終日の夜。


恒例行事の花火が終わり、ふと真っ暗な森の中で見上げた空からは、こぼれんばかりの星が輝いていた。街から離れていた場所だからか、皆と一緒にいたからかは分からない。
しかし、あの日、見た空と同じような光景をいまだ見たことがない。

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いつだって合宿から帰るときは、寂しい気持ちになった。反抗期真っ盛りの部員も、素直にその気持ちをぽつりと打ち明けてくれたこともある。
ただ一緒に時間と空間を共有しただけだった。
でもあのとき、私たちは同じ部活に入った同志ではなく、仲間になったのだろう。

 

□会社では見せられない姿を、大人の夏合宿で見せ合う。

10年の時が経つ。家族を持つ部員も増え、あの頃のメンバーと旅をするのは難しくなってきた。しかし、4年前から同じ大学の合宿に参加したメンバーと、夏旅ならぬ「夏合宿」を慣行している。

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選手として参加したサークル合宿では、練習が辛くて何度も「東京に早く帰りたい」と思った。最終日の夜には、高校時代とは異なり、お酒という大人の遊び道具が加わる。
女子サークルのため、普段あまり接することのない後輩や先輩と酒を酌み交わすと、お互い、女とは思えない荒々しい姿を晒すことになる。

毎年、粗相が必ず起きて、翌日には寂しさよりも、吐き気が身体を襲ったものだ。

 

話が戻るが、現在「夏合宿」に参加しているのは4学年、女8人。旅先では、バスケはしない。なぜか、練習よりも辛かった酒宴の思い出だけを切り取り、それを飽きもせずに反芻している。
日本酒一升瓶を抱えて新幹線に乗り込む奴が必ずいるほどだ。

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今年の「夏合宿」が行われた岩手でも、観光スポット・猊鼻渓(げいびけい)の船下りでは女8人ビールを呷った。

夏の身体にしみ込む水分は、汗や涙など青くさいものから、ずいぶんとオジサンくさいものへと様変わりしたが、「夏合宿」を彩るものには違いない。

 

□それぞれが持ち寄る旅の記憶。それをつなぎ合わせて宝物にする

私たちは照れ臭くも「大人の合宿だ」とふざけて集まるものの、社会に出たからこそ自分の素の姿に戻る場所を取り置きたいのだ。それは街の居酒屋でもできるのではと疑問に思うだろう。


けれど、「夏合宿」という旅先で作られたものは、普段の生活から離れた遠い場所で思い出したい。終電を気にせず、そのまま気持ちよく眠れるように、限界までお酒を酌み交わしていたい。そしてまた、同じ時間を色濃く染め上げる共犯者になりたいのだ

 

しかし「夏合宿」を語ろうにも、10年以上も前の話なので、当時の出来事なんて一部分しか覚えていない。あのときに見た星空も衝撃的な同期の姿も、覚えている人は少ないだろう。

仲間がいてくれると、それぞれが記憶のピースを持ち寄って思い出をつなぎ合わせられる。今後もそうやって、思い出の欠片を皆で積み上げていくのだろう。

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「夏合宿」をする私たちでも、東京で会う機会が少ない。半年に1回飲み会があればいいほうだ。今も昔も、旅から帰るとそれぞれの生活に戻っていく。
ただ、一緒にあのときの夏旅で手に入れた想いや、見た光景、聞こえた笑い声は仲間だけが独り占めできる宝物だ。それを大切にどこかにしまっている。

 

そしてそれぞれの場所で、セミの声を聞いたときにふと思うはずだ。
「ああ、あの夏がやってきた」と。

 

これからも仲間と「夏合宿」を出かけるだろう。
そうして私たちは夏を迎えるのだ。

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【シン・ゴジラ見てきた】感想を書くのは野暮だと思ったので心に残ったキーワードだけを挙げていきたい

こんばんは。タイトルの通り、庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」を今夜見てきました。
感想を書くのは野暮だと思ったので、心に残ったキーワードをピンポイントで挙げていこうと思います。

多分ネタばれはしてないと思います。が、見ていない人だとなんのこっちゃかもしれません。

 

中略

愚痴

ニコ動

高齢者社会

ZARAはどこ?」

自衛隊

38mm

銃口

アゴの粘膜

目線

エレベーター

プラン

片桐はいり

「すごい・・・」

瞬殺

作戦

700系

替え歌

ものづくりJAPAN

在来線

国のトラウマ

静止画

自分の仕事をする大人たち

こんなときでも携帯電話で会話

編集力

 

 


日本の格好悪いところ、格好良いところが詰まっている映画だと思いました。それを踏まえて、日本カッコイイ。

庵野監督お疲れ様でした。本当に本当に面白かったです。
映画でこんなに心が満たされるとは思いませんでした。ありがとうございました。

私は大好きです。

夢でもう一度ゴジラに会いたい。

それでは。

ポケモンをやらなかった30歳女が、ポケモンGOを想う理由

ポケモンGOにはまっている。

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私はポケモンの本作はやっていない。

でも、今はポケモンGOを謳歌している。
なぜか。

 

■兄貴に取られたゲームボーイ 憧れつつも20年間触れることのなかったポケモン

 

1996年当時任天堂からゲームボーイソフトとして発売されたゲーム「ポケットモンスター」。

説明するまでもないがこのゲームは、

ポケットモンスター(以下「ポケモン」)」という不思議な生き物が生息する現実(現代)に似た世界において、ポケモンを自らのパートナーとして「ポケモン同士のバトル」を行う「ポケモントレーナー(通称「トレーナー」)」たちの冒険を描くロールプレイングゲーム(RPG)である。

ウィキペディアポケットモンスター」より引用)

その頃、2歳年上の兄貴が赤を買い(当初赤と緑の2色が発売され、ゲーム内で捕まえられるモンスターの種類が異なっていた)、見事ドはまり。

 

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当時スーパーファミコンプレイステーションなど、テレビに映し出すゲームが主流だった。
兄貴がプレイ中、私は横にちょこんと座り、その様子を見て一緒にプレイしている気分に浸っていた。

 

しかし、ポケットモンスターの場合、捕まえたモンスターをコレクションして、通信で友人と交換していくことが革新的だったため、バイスはポータブルなゲームボーイだった。
そうなると画面が小さく、兄貴がプレイしていても私はその様子を見ることはできない。

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ピカチュウをゲットした」、「ミュウっていう幻のモンスターがいるらしい」など、会話のなかで聞いていたものの、まったく画面が見られない。

かといって、小学生だった兄貴がハマっているゲームを幼い妹に貸すという配慮をできるわけでもなく(なんなら当時流行していたガチャガチャのレアアイテムを奪っていくような鬼畜だった)
そして両親が、二つ目のプレイ機器を買ってくれるわけでもない。

 

私は当時のポケモンの流行の波に完全に乗り遅れてしまった。
しかし、そのときはそれでいいと思っていた。

まさか20年も子どもたちの心をゲットして、遂には株式会社ポケモンを立ち上げるまでの拡散力があるとは想像もしていなかったからだ。

 

そして私はポケモンを知らないまま、その後に流行った歌「ポケモン言えるかな」の中のひとつも言えることもないまま、20年が過ぎた。


ポケモン言えるかな? 初代?

 

■やっと自分でプレイができるようになったポケモンGO

 

そして2016年7月22日。ポケモンGOスマートフォンでダウンロード可能になった。
もう全力でプレイするしかないだろう。

リリース初日にダウンロードして、いつもは20分で着く隣町の駅まで一時間半かけて歩いた。

 

一番始めに手に入れたのは、ヒトカゲ。初代ポケモン赤の表紙を飾ったモンスターだ。

私の20年前からの憧れのモンスターはこのヒトカゲなんだ。

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発売されてから1週間弱。
一日の仕事場となるカフェに向かうために、わざわざ遠回りして歩き続けている。

 

ゲームに関する基本的なチュートリアルがなく、日本中プレイに夢中になっているために、攻略のサイトなどもまだ数少ない。

LINEの友人とのグループでは、日々、どこにこのモンスターがいただの、今日はこの子を捕まえただの情報のやりとりが続く。

 

歩きスマホによる事故や不法侵入、公園のゴミの散乱、企業との提携などニュースでも悪い意味、良い意味どちらにおいても取沙汰されている。

 

家に帰ると父もゲームに対して苦言を呈しているし、母は私が出かけるたびに「今日もいっぱい(モンスターを)つかまえてきてね」と声をかける。

 

街中ですれ違う、スマホを手にした人たちのほとんどがプレイヤーという異常な状況。
新宿御苑では老若男女出そろって、風光明媚な景色を無視して、画面に目を落としている。

 

■80~90年代のゲームソフト発売時と、同じ高揚感を現代でも感じられた奇跡

 

確かにポケモンGOから生まれるものは良いものばかりではない。
それを危惧するメディアの立場も理解できる。

しかし世界を巻き込んで社会現象を起こすほどの影響力をもつモノだから、仕方ないとさえ思ってしまう。
(ただし、事件を引き起こした本人を擁護する気は一切ないし、マナーを身に着けないでプレイする人に対しては怒りすら覚える)

 

 しかし、ゲームへのこういった物言いに、違和感を感じてしまう。
「一週間で飽きるだろう」
「もうアメリカでは下火になっている」
ネットでは、プレイヤーの熱を鎮火させるような記事も出ている。
それらを見ると、なんて下卑た話をするんだろうと思ってしまうのだ。

 

ポケモンGOを単にゲームとして捉えてみると、これまで私たちを魅了してきたゲームと同じ道を辿ってきているのではないかと思う。

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例えばエニックスから出た、ドラゴンクエストIII
発売当初、販売店に数キロの長蛇の列をつくらせ、ゲーム誌やテレビCMでは発売前からゲームの情報を小出しにして、ゲームファンの期待を膨らませてくれた。

 

2009年にリリースされたファイナルファンタジーXIIIの発売予告CMでも、忘れられないフレーズがある。

「3年間、この日を待っていた」


FF13 CM

「私もそうだ」と、このCMに共感した人も多いのではないだろうか。
この高揚感を現代で、スマホのゲームで感じられたのは奇跡に近いのではないだろうか。

 

■ゲームは元々数週間の命 それをどう楽しむかが重要だ

90年代では一万円という価格の、ゲームソフトを手に入れたときの高揚感は計り知れない。
しかし今回は、無料で手に入れられ、すぐ消去できるような短期的な消費物に、同じような感覚を得られるのだ

 

しかし、ゲームへの期待は、ゲームのスタートボタンを押したときに、はじけてしまう。
ゲームは消費していくものなので、期待値からの下降線ができるのは当たり前の話である。

 

そして長編のRPGでも正味2~3週間の命だ。
ゲームにのめり込む人ほど、驚くほどのスピードでクリアしたりもする。

でも、それを批判する人は誰一人としていなかった。それでよかったのだ。

 

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人々はそのゲームの世界を自由に駆け巡り、満足して現実世界に帰ってくる

時間の短い、長いは関係なく、その世界にどれだけ貢献できたかが重要なのだ
その経験を得ているからこそ、大人になった今でもお酒を飲み交わしながらゲームの名シーンについて語り合うことができる。その余韻を楽しむことができる。

 

そのため、注意喚起は必要とはいえ、今夢中になっている人々に水を差さないでほしいと思う。

大切にくまのぬいぐるみを抱えている少女に、大人は「来年になったら、くまは押し入れのこやしになるね」とは言わないだろう。同じことである。

 

ポケモンGOは、世界が一緒に見ている大きな花火

とはいえ、生まれ出たものへの、賛否両論は必ず付きまとう。
それは、取り扱いようによっては、人やモノを成長させる鍵にもなったりする。

ただその中でも質が良いものと悪いものがある。それを見極めなければいけない。

 

だから私は私の立場で、ポケモンGOを批判する人に、ちょっとだけ言いたい。
それ自体は、そんなに眉をひそめるような悪いモノでもないよ、と。

 

昔、流行した携帯ゲーム・たまごっちも、テトリスも世界を巻き込んで、楽しませてくれた。 ゲームという遊びのジャンルでここまで拡大したものは、ここ最近あっただろうか。

 

子どもも大人も、皆がワクワクするゲームが生まれた。
そして周りの景色を一変するくらいに、見事に拡散した。

 

ポケモンGOに興味がない人がいたら、これを大きな花火だと思ってほしい。

世界のど真ん中で打ちあがった、特大の花火。

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皆がその瞬間を目にする、その時間を共有することができる。

でもその花火を打ち上げるために、何人かが犠牲になったかもしれない、

花火を写真に収めるために、人が他人に迷惑をかけるかもしれない。

打ち上げ音に「うるさい」と怒鳴る人もいて、でも空を見上げて涙を流す人もいるだろう。

 

特大の花火なんて、ちょっと大げさな表現かもしれない。
けれど町中で見たこの景色を、1ヶ月後にはもう見られないかもしれないのだ。

 

私はポケモンGOをプレイすることで、これまでの20年間を取り返し、今後20年もその余韻を楽しむ予定だ。

 

あなたはどこからこの花火に触れるのだろうか。

一緒に花火を見るのだろうか、おうちでテレビを通じて知るのだろうか、花火を見ている人たちに眉をひそめるのだろうか。

夏のホットスポット★息子キャップが推しメンのタイのレストラン

確かにそれはコンドームだった。

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コンドームといえば、ある一定の年齢になり、それなりの経験をした者なら手にする、あの避妊を手助けするゴム製の息子キャップ

その存在が明らかになっているとはいえ、それ自体を異性の友人の前で出すのは憚れるもの。

 

しかし、タイを訪ねたとき、私の中で培われたそれなりの奥ゆかしさは粉砕した。

紹介されたレストランの看板には、堂々と擬人化された息子キャップが描かれていたのだ。

 

「CABBAGES&CONDOMS」

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長い夜が始まりそうだ。

 

【息子キャップは突然に】

看板のところから通路を抜け、レストランに向かう途中、シャレオツな照明があるなとふと見上げると

やつだ。

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照明の周りに、びっしりと貼り付けられている。
その荒々しい形状と斬新な使い方に、心を打たれる。

 

第二次性徴時に、原宿の交差点のアダルトショップを初めて見つけたときの恥じらいと好奇心が蘇る。

とはいえ30という次のステージに進んだ、大人の私。

幾多の棒と対峙してきたこの身で、まさかゴム製のキャップごときに心を踊らされるなんてことは・・・

 

私の私が卍解しないように気を付けなければと、心に決めた。

 

しかし、レストランのドアを抜けた瞬間に全てを悟った。

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 「あ、これ保険体育的なやつだ」

ゴムゴムの衣を纏った人形を見て、私の中で何かがしぼんだ。

 

【割とまじめだったコンドーム啓蒙施設】

ネタばらしをしてしまうと、このレストランのオーナーの方はミスター・コンドームと言われ、30年前に初めてタイでコンドームの使用を国民に啓蒙した方とのこと。

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タイの人口コントロールから始まり、レストラン、宿泊施設と、コンドームの啓蒙を謳った施設を経営。

やがて、タイ最大のNGO組織、社会開発財団まで発展し、今では農村部の開発や、女性の権利尊重、AIDS教育など、その活動域は幅広い。

 

しかし、何故こんなにファンシーな装飾にまで進化してしまったのだろうか。
飾られている花もゴム製だし、ポスターもよく集めたなというくらいにコンドーム・オンリーだ。

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グッズ販売でも収益を上げているらしい。

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早すぎる性教育は、長年にわたる啓蒙活動の結果なのだろうか。

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ゲシュタルト崩壊後の追いの一手】

正直、出落ち感満載だが、提供している食事は普通に美味しい。

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サテ(タイの焼き鳥)や諸々の料理もなかなか。

 

肉欲を刺激するだろうキャップに囲まれて、料理を楽しむことができるのかと不安ではあった。

しかし、どこを向いてもそれが視界に入るため、見事息子キャップはゲシュタルト崩壊を果たし、保健体育の微エロから、NOエロへと溜飲を下げたのだ。

 

しかし、彼らの魔の手は最後まで続く。
食欲を満たして帰ろうとする私たちに、スタッフの人が声をかける。

 

「お土産にどうぞ」

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なんとコンドームを無料で配っているのだ。

そしてそれらが入っている箱の文字に、目が引き付けられる。

 

ミリタリーサイズ?コスモポリタンサイズ?そしてクーデターサイズだと?

 

もう中身を想像せざるを得ない。まさかの4サイズ展開とは。

しかし、どれがXLなのかわからん。やはりクーデターなのだろうか?

 

悶々とさせられながらも、とりあえず全種類を懐に入れ、日本へと帰路に着くことになった。

次ここに訪れるときは、彼氏と一緒に「もーやーだー」とかキャッキャはしゃぎながら、実に結び付けたい・・・

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後日談

持ち帰ったキャップたちは、好奇心のみで全部開封しましたが、全部同じサイズというがっかりのオチ。
しかし開封したときに漂ったバナナの香りに、例えるものは世界標準なんだなと安堵しました。

 

更新した後に気付いたのですが、こちらのお店が京都に支店を出しておりました。
気になった方はぜひこちらへ!

tabelog.com

アラサー女が京都の町家ホテル【懐古庵】で幼い自分を見つけた話

私は古い建物が好きだ。
初めての記憶は当時住んでいたドイツ。

古い建物が立ち並び、でこぼこの石畳が敷き詰められ、教会が鳴らす鐘の音が定刻を呼びかける。
そんな町で私は幼少期育ったからか、ぴかぴかのLED電光よりも、少し曇ったガス灯のほうが好きなのだ。

 

30歳の誕生日目前、友人にとある提案を持ち掛けられた。

「京都の町家に泊まらない?」
二つ返事で快諾した。

実はこのとき町家と長屋を取り違えており、実際に町家と対峙したときには首をかしげたものだ。
しかし、それでも京都・左京区にある古民家に魅せられたため、そちらを紹介したい。

 

【目に映るもの全てが新鮮な町家ホテル】

最後に京都に訪れたときは、大学の課外授業、その前は中学の修学旅行だ。
セーラー服にコンバースを履き、女子で徒党を組んで闊歩した街並み。

今回も隣には、当時から私を温かく、時に冷たく見守り続けてくれている親友が横にいる。

 

懐古庵があるのは、京都駅から祇園を抜け、鴨川を渡った左京区、三条の近く。
大人の乗り物・タクシーで到着した懐古庵の玄関口で、信楽焼きのたぬきが出迎えてくれた。

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そこから徒歩3分ほど、住宅街の間を縫ってたどり着いた、今回のお宿。

 

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ドアにかかるは、ダイヤルロック式の南京錠と、内側のひっかけ棒
カードキーによる施錠に慣れてしまった私たちに新鮮な二つだ。

電子ロックなんてなくても、金属の噛み合わせだけで、簡単に外の世界をシャットアウトできるのだ。

 

中に入ると、そこには土間式の台所がまず目に入る。
資料館くらいでしか見たことがなかった、土間に足を踏み入れたときの感動たるや。

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テンション上がりすぎて入り口に頭をぶつける私と、それを奥で冷静に見守る親友。

どうやら食材を買ってくれば、ここでも料理ができるようで、食器も調理具も完備している。

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台所横には、露天風呂。そう、ほぼ外である。なんて贅沢なつくりだ。
保温性よりは、熱伝導性の高い鉄窯の五右衛門風呂。

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入るときは80度くらいの熱湯を蛇口からひねれば、外気温(当時は1月中旬)で冷えきった鉄釜で冷まされ、通常の温度になるという。

 

そして中には風呂場と絶対的に相性が良くない、水彩画が飾られている。

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確実に絵具が額に染み出ている。

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夜に入ると、鮭をくわえた熊の彫像や、またもや信楽焼きのたぬき、そして親友が見つけられなかった幻の蛙の置物からの熱視線を感じられる。

 

土間を上がると8帖の畳部屋が奥に並び、色の変わった桐たんすや、ちゃぶ台などが所狭しに並ぶ。

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更に奥の障子戸を開けば中庭があり、外側に個室トイレ(和式)が完備。

ひとまず親友に、怖いだの寒いだのと駄々こねるお約束芸を披露してみたものの、
真冬に飛ぶ虫はおらず、灯りも煌々と輝いており、大人の意地を見せるしかなかった。

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【忘れていたあの頃の私を呼び起こしてくれる2階】

手前の畳部屋の横には、ジブリ映画「トトロ」に出てくるような隠し階段がある。

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そこを上ると、明治・大正時代の家具や調度品が飾られた娯楽スペースになっており、「世界の車窓から」のVHS版を鑑賞したり、囲碁で遊んだりすることもできる。

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天井の梁を活かした山小屋風の部屋。
飾られている品々を眺めていると、幼い頃に訪れた祖父母の家を思い出す。

 

触れてはいけないと注意された、棚や壁に並ぶ古き良き時代の絵画やボトルシップ、古本など。言いつけを守り、ぎゅっと自分の手を抑え、必死に目を動かし、見つめていたものだ。

 

30歳になった今も、母の言葉を守り、京都の町家の二階の宝物たちに触れられないでいる自分の中に、あの頃の時間を見つけた。

 

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町家とは、江戸末期から戦前に建てられた木造家屋のことで、京都では行政市民一体となって保存活動が進んでいるという。

 

今回泊まった懐古庵では、町家のつくりだけでなく、室内の空気感も味わうことで、自分に刻まれた日本人のDNAを思い出すことができた。

 

 

安っぽい文になるが、やはりこう思う。

時を重ねるごとに新しい技術が生まれ、情報は濁流化している。
歴史ある町に「変わるな」「そのままでいてほしい」と言い続けて強要するのは酷な話だろう。

しかし、それでも守り続けているものに関して、外の人間ができることは、その土地の人々に感謝して利用し、その良さを他の人に伝えていくことだと思う。

 

できれば私もその一端を担いたい。

 

注)今回宿泊した部屋(建物)は、福寿庵になります。詳しくは下記HPをご覧くださいませ。

kaikoan.jp