おっさんアラサー女の欲まみれの戯言集

見た目はキラキラ女子、中身はおっさんのアラサー女のゆきびっちがアート以外のことを語るサブブログになります。

IKEAのベッドを解体したら20年前の親心に触れた話

先ほどIKEAのベッドを解体した。
小学4年生から使い続けていた実家のシングルベッドは、買ってからもう20年は経っていた。

 

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白い木製のフレームに、縁だけが青く塗られている。その差し色が剥げることはこれまでに一度もなかった。
積年のホコリで、ボディの白は黒ずみ、持ち主のずぼらな性格が一目瞭然だ。力を入れても汚れは取れず、廃棄するだけのために時間を使うのは無駄だと掃除を諦めた。

 

一度も変えることがなかったベッドマットのスプリングは歪み、数年は寝つきに悩まされていた。マットをひっくり返すと黄ばみがあちらこちらに浮き出ており、これまで自分の体に影響が出ていなかったことを不思議に思う。

 

マイナスとプラスのドライバー、そして六角レンチ。
引き出しの奥から取り出して、パーツをつなげていたネジを一つずつ外していく。

 

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固い。

「誰だよ、こんなに固くネジを締めたの」
明日やってくる筋肉痛を憂鬱に思いながら、ふと、このベッドと出会ったときを思い出した。

 

 

1995年7月、家族はオーストラリアのメルボルンに移り住むこととなった。私が生まれてから2度目の海外赴任。
父はひとり半年前に現地入りしていたため、私たちが空港に着いたときには満面の笑みを浮かべ、迎えてくれた。

 

車に乗り、新しい家に向かう。とはいえ、子ども心にこの引っ越しは心躍るものとは言えなかった。
親しかった友人と別れ、慣れ親しんだ土地から離れ、これから聞きなれない言語に立ち向かわなければいけない。前のときは幼すぎたために、どのようにやり過ごしたか、記憶が残っていなかった。

 

「東京に帰りたい」
口にはしなかったものの、その言葉が浮かんでは滞留していた。しかし横で父が喜んでいる。母も上機嫌にいつもより饒舌になっていた。
しかし平屋の一軒家を紹介され、部屋へと案内されたとき、私の心は一転した。

 

「私の部屋がある」
さすが広大な土地をもてあますオーストラリア。これまで兄との共同部屋だったが、私だけの部屋が用意されていたのだ。

 

壁には「くまのプーさん」の複製原画が入った小さな額が二つ飾られ、部屋の角にはこげ茶の勉強机が据えられている。そして正面には白いフレームのベッド、上にテディ・ベアとうさぎのぬいぐるみが二体座っていた。

 

父なりの気遣いだったのだろう。不安が先行く中、少しでも心の支えになるようにと、二人も新しい友人を娘のもとに連れてきてくれたのだ。

 

 


その日から白いベッドとの共同生活はスタートした。

ソファの代わりにベッドの上で長い時間を過ごしてきた。漫画を読むとき、音楽を聴くとき、人間の友人と笑いながら電話で話したとき、好きな人に緊張しながらメールを打つとき、失恋したとき、受験でヒステリックに暴れたとき、すべてベッドの上だった。
部屋の中でも、特別心地のいい場所。

 

私の青春時代を知り尽くしている、そのベッドを解体した。
そういえばと、帰国時も国内で引っ越しをしたときも、このベッドをばらしたことは一度もなかったことに気づく。

 

つまりこのネジは、22年前、父がひとり海外で締めたものだった。

 

改めて思う。
「固い」
20年ももつはずだ。

 

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3年前に一人暮らしを始めたとき。同じIKEAで家具を買ったが、ひとりでは組み立てられずに、当時の彼氏に応援要請をしたものだ。シンプルな図面は易しいようでわかりにくい。二人で相談しながら、なんとか形になったときは日が暮れていた。

 

当時、父が組み立てた家具は、私のベッドだけではない。今はもうない勉強机や、兄の分、家族共有のものもあった。

 

父は頑固で怒りっぽく、気分屋だ。父の気性は私に受け継がれ、大人になった今でも二人はたまに衝突する。一方で酒を語り小説を貸し合うなど、共通の趣味を通じた交流が増えたように思う。

 

これまで、なぜか子どもの頃の父を思い出せなかった。
家にいるときは趣味に没頭し、出かけたときはビデオカメラを構え、ひとり先回りして遠くから歩いてくる家族の姿や風景を捉えていた。VHSに残る映像は、つたない幼い記憶を支えてくれたが、撮影者の姿はそこにない。

 

しかしベッドのネジを緩めるとタイムカプセルみたいに、当時の父の想いが流れ出てくる気がした。
子どもの笑顔を見るために、万が一でもケガをさせないように、部品をひとつひとつ丁寧に組み立てた父。やはり設計図がわかりにくかったのか、当時油性ペンでつけたメモも残っている。

 

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今はもう見る影もなく、木と金属のパーツに細分化され、有料粗大ごみ処理券のシールと共に、週明けの収集を待っている。

 

解体後、何度か父に声をかけようと試みているが、なぜかうまくできない。
「廃棄してごめん」でもなく、
「20年前はありがとう」でもない。
言葉が足りなく不自由に感じるし、その前に涙があふれてしまいそうだ。

 

だからせめて、短いエッセイを贈ろうと思う。

 

父の日に、
いつもありがとう。